Puppet Show / Plastic Tree

※注意。今回の記事はいつも以上にナルシズム全開!要注意!!!

 

日本のオルタナティブロックバンドの1998年作。

 

走馬灯。死の間際にみるという人生のパノラマ。あなただけが知っている一大絵巻。あなたはどんな走馬灯を見るだろう。自分の人生の最期に何を見ることを期待するだろうか。

勝利の瞬間。大切な人たちと共有した時間。忘れられない想い人。でも、私たちの人生には、そんな輝かしい記憶と対照的な、他者には解きほぐせない哀しみに満ちた孤独も幾つもあったことだろう。空気の澱んだ部屋の中でただ何かに怯え、耐え忍びんでいたひとりの時間、街灯を頼りに闇に沈む街をあてもなく彷徨った寂しい夜に、社会化される前の幼い頃、訳もなく朧げにでも確かに寂しかった記憶だとか。少なくとも私にはそんな時間がたくさんあって、私はきっと最期にそんな瞬間を思い出すことになる。

今、このアルバムを聴きながら、そんな哀しい走馬灯あるいは哀しい人生を少し肯定してあげてもいいのかなと思っている。Plastic Treeの「Puppet Show」は寂しくも愛おしい、あまりに美しい走馬灯を私に見せる、奇妙な人形劇である。

 

歌詞をいくつか引用してみる。

「歪む心臓 手の中の蝶 七歳の午後」

「希望的観測しかない僕に朝の光がほら降り注ぐ」

「幻灯機械のせいで部屋は亡霊だらけだ だから僕もここにいよう」

「何からはじめてみる?今日はそうだな誰と上手く話そう」

「夏の日の僕らは淡い光の希望の中にずっと置き去りだった憂鬱を溶かして歩いていた」

「水たまりに映る顔は冷たい雨でぐしゃぐしゃにちぎていってただの色に変わりだしたよ」

「寒くない冬がくれば 僕の街にサーカスがくる」

 

本作を聴く度私は、心の奥底にそっとしまったはずのひとりぼっちの思い出が部屋中に溢れかえっているのを目撃する。今では骨董品と化しつつある、フィルムタイプの映写機が、カラカラ音を立てながら、私だけの私を黄ばんだ壁面に写していく。窓の外での出来事はだんだん遠のき、寂しささえも鈍くなり、ただただぼんやりと映し出されるひとりぼっちの過去を眺める。

 

このアルバムの何が走馬灯のようなものを見せるのだろう。事務所に裏切られ、バンドの存続すら怪しかった当時の彼らを取り巻く状況がそうさせたのか、サウンドやボーカルは全編通して非常に切迫した空気を纏う。それでいて迫り来る不条理や運命に抗えずに、遠い目でそれを眺めているかのような不思議な穏やかさ、温かさも感じさせる。あまりにショックな出来事に直面した人間がそれを漠然と受け入れるしかできなくなるのと似た感覚。今の私にはそれは「死」の感覚に限りなく近いように思えてならない。

 

「悲しみも寂しさも消えるから 居場所なんかもういらない」

 

はじめて本作を聴いた時、「3月5日。」の歌詞を読んだ時の衝撃は今でも忘れられない。ボーカル竜太朗の誕生日の前日を指すタイトルに導かれるのは、仮タイトル「遺書」の名に相応しい余りに痛切な孤独の独白。愛されたり、愛したり。ないがしろにされたり、尊重されたり。傷ついたり、傷つけたり。その度に醜く軋む心の忙しなさに疲れたんだよね、きっと。

一人は嫌だ、なんで僕だけを置いていくの、こんな思いするくらいなら一人でいたかった。でも永遠に続くと思われた悲しみも寂しさもやがて消えていく。かなしみしか今の僕の心を形作るものはないのに。かなしみまで拭ってしまったら今の僕には何もないのに。もう疲れたよね。居場所なんか要らない。「ここ」にずっといたい。

そんな閉ざした想いを、有村竜太朗は手紙に書く。でも気付いて。手紙は誰かに読んで欲しいから書くんだよ。

 

最後の曲「サーカス」で、はじめて「僕」は窓の外に目を向ける意思を示す。

「僕だけの方法で祈り始めたら いつか窓の外は変わりだすかな」

50分弱の内省の果て、僅かばかりの光の方へと伸ばした手も、指先から枯れて萎れていくかのようにアウトロはか細く、一曲目のインストと地続きのムードを醸しながら、ひとりぼっちの世界は円環する。

 

でも、私はこれを絶望だと思わない。何度もひとりぼっちの走馬灯を眺め、怒り、喜び、諦め、涙しているうちに、少しずつ部屋の外に出るための強さが自分の中で育っていくように感じられてならない。

それでだめだったらその時はまた「ここ」に戻ってくればいい。本作はずっとこの部屋で待っている。変わるのは私だけで、音楽はあの日のまま変わらない。何回でもひとりぼっちになればいい。

それでいい。死の間際に見るのが走馬灯であるなら、走馬灯を見せるこのアルバムは、きっと私を殺してくれるのだろう。何回でも死ねばいい。ここに来れば何度でも死ねるから。

 

Plastic treeは今年、結成25年を迎える。死に限りなく近いどこか、瀬戸際で切実な想いを歌っていたバンドが、ここまで長くその命を繋ぎ止めることになるとは。傷つきやすい少年は立ち尽くしたまま寂しい唄を唄い続け、流れる涙は強靭な根を張り、やがて本当に「枯れない木」と化すのかもしれない。なら私も、まだもう少し生きて、唄っていたいと思う。