2025年間ベスト補足記事:「かがやきの虜 / 蒼山 幸子」について

1.作品の話

 

ねごとのボーカリスト蒼山幸子は優れた観察者です。四つ打ちを基調としたエレクトロポップと、スウィング感を活かしたシティポップを中心とする音楽性はこれまでどおりですが、以前よりも明確に決意表明的な仕上がりの歌詞を読みながら、私は彼女の生きることへの眼差しに、食らわざるを得ませんでした。

 

「忘れないで今も私にはあなただけが天使」

「痛い目を見ても希望といたいみたい」

「百年後はいないあなたを覚えたい」(かがやきの虜)

 

「思いがけない愛をありがとう ぼやけかけてた世界がきれい」

「実験できる自由を日々と呼ぶのね」(えめらるど)

 

「あてもなく日向へ向かう僕らでいよう

予告もなくふいにトンネルは終わるからさ」(ダリア)

 

彼女の関心は、生活における自身の心象。傍から見れば些細な変化や出来事を正面から受け止め、時に受け流しながら、彼女が歌うのは、いかにして生き抜くのか、という問いへの回答であると同時に、結局、これまでどうやって生き抜いてきたのかという観察結果でもある。私は「かがやきの虜」であった。これからもそうありたい。しなやかで強い光の表現としてこれ以上があるのだろうか。

 

 

2.私の話

 

今年のはじめ、私は絶望していました。

行動することが、とにかく怖かった。自分の選択や努力が、うまくいくとも、報われるとも、まったく信じられなかったのです。とはいえ、行動しないわけにはいかない。生活は、行動なしでは維持できないのだから。服を着替え、食事の予定を立て、キーボードを叩く。どれも些細なことですが、当時の私にはひどく重たかった。横隔膜に絡みついた鉛の鎖が周囲の内臓器官を傷つけながら身体全体を締め付けていた。

 

そこで私は、ある種のマインドセットを選びました。行動の「価値」や「成否」を、意図的に無化すること。どうせうまくいくかどうかは運命論のような不確実なものなのだから、結果に意味などない。行動にも意味などない。私のなすことに意味などない。それは傷つかないための、自己防衛でした。そうしなければ、一歩も動けそうになかったからです。

 

しかし、その選択は同時に、私から「人生を自分で動かしている」という感覚を少しずつ奪っていきました。早い話が効力感を失ったのです。自分の行動が何かを変えているという実感が持てない。うまくいっても、いかなくても、自分の意志とは無関係に起きているように感じる。その感覚が積み重なり、やがて強い非効力感として定着していったのです。

 

結果として私は、自分を守りながら、徹底的に絶望していました。自分の人生に参加している感覚が、もう持てなくなっていた。私は、生きてはいるけれど、どこか死んだような気分でした。

 

*************************************************************************

 

時は傷を癒すもので、春、よく晴れた休日に、不意に「今日したいこと」が浮かびました。それは懐かしくて、陽だまりの温度を持っていた。そんな折この作品を聴いたわけです。上述のとおり、私はこの作品の全体としてのテーマを、「かがやき」に向かうことによって生き抜くということ、そうした生き方の尊さについてだと読解しました。そして、私が感じた懐かしい、陽だまりの温度の感覚の正体が、「かがやき」なのではないかと思ったのです。それは希望と言い換えたほうが一般的かもしれません。

 

同時に、絶望していた当時の私は希望を失った状態にいたんだ、とも気づくことになります。そう気づいたとき、希望を持つことの尊さをこの上なく感じた。そしてこの作品は「かがやき」へ向かう私たちに暖かい眼差しを向けていて、それが嬉しかった。自分のために出た作品なのでは、と思うくらい、当時の自分の心境とマッチしていました。

 

「かがやきの虜」でありたいと願うこと。それ自体が一つの「かがやき」で、希望である。そんな気付きを与えてくれた作品です。